23歳の私が知ったこと2

前回の続きです。

23歳の私が知ったこと

・人を褒めること
・人に認められたいと思うこと
・人を尊重し、感謝すること
・助け合い
・人を貶さない
・人の揚げ足を取らない


私はいつの間にか人を褒めるを、認められたいと仕事で思ったことは一度もありません。
人に褒められたいというのはいつのまにか喜んでもらえればそれでいいとなり、
認められたいという気持ちがどんな気持ちかわかりません。

例えば、家庭で褒めること認めることしないとどうなるか?というと
皿洗いは義務になり、全ての事柄は交換条件です。

母はご飯を作るから、その変わりに私は皿を洗う。ここに表面上の感謝の言葉があっても義務だからです。ありがとうと言われたら次は何かしないといけません。
働くことは法律に書かれた義務だから働くというようにそんな感じです。


母は私を尊重しません。感謝はしても口ばかりです。
接客業の仕事をしだして分かったのですが、
お客さんを尊重すると感謝してお客さんは話を聞いてくれます。感謝してる顔は凄く暖かくてすごいそれが私は嬉しかったです。
凄く人懐こさを感じました。



母はいざと言う時の反論ために、私が言ったことを覚えていました。
親子喧嘩は慎ましいようですが、
それは揚げ足を取るということです。
全然、関係のない話に、前こういっていたからしたんだ!私は悪くない。○○ちゃんが言ったんでしょといって笑っています。
今考えるとゾッとします。
今も母と同じように私も癖になっています。

喧嘩とは、こうしたらもっと良くなるから、家族ルールの改善、向上や指摘、注意ではないでしょうか?

注意はいつの間にか揚げ足を取ると言うことになってしまった。ツィッターを見てるとこのことに気がつきます。
ただこれは最初は良いですが、喧嘩は法廷でもないのでだんだんお互いに疲れていきます。

仕事や恋人との言い合いでも
相手の弱みを握るように揚げ足をとり言葉巧みに出てきてしまい、こんなことはしてはいけなかったんだと23歳になってやっと気がつきました。


母は私が風邪になるとおじやを作ってくれました。でも、それだけでした。というより毎回おじやでした。
母がしていたおじやは看護手伝いの仕事でしたのと同じで、おじやを作って体拭いたらそれでいい!といったかんじです。さきほの記事に書きましたが、母は発達障害の系統があるので多分しょうがないだと思います。
人は風邪を引いたり、体調を崩すことが人間なら誰しもあると思います。
このは助け合いで改善されます。

助け合いて何ぞや?看病もありますが、恋人や友達の話を聞くことも相手の気持ちの助けになるんだと知りました。
相手を受け止めることは大事です。

今までは私が皿洗いをしたら、母がご飯を作るという義務でした。お互いが家事をしなくてもいい日があってもいいということが知りませんでした。家庭では方程式のように何かをしたら、何かを仕掛ければならないというような方針だったので助け合いなんて言葉では無かったです。

仕事は様々なことをしてきました。上司に言われた義務で決められたことをしてると勘違いしていたのですが、それぞれの得意分野があって、出来ないことや苦手なことは得意な人に任せてもいいはかなり衝撃を受けました。
無理をしてると、しなくていいと言われて私は何かおこったてしまったのかといつも思っていた。
上司は、
出来ないときがあっても仕方ない、協力し合わなければならないから。もっと○○さんの合った仕事があるから。大丈夫だから。と言われました。

その時はわかりませんでしたが、これが助け合いです。